台風の通過に伴い、大阪は29℃!これが、二十四節気「寒露」を過ぎた気温とも思えず、どうも、ブログ更新する筆が進まない…。暦は順当に進んでいくのに…。
とまたまた言い訳から始まってしまいました。
とまたまた言い訳から始まってしまいました。
さて、10月8日は二十四節気「寒露」
晩夏から初秋にかけて野草に冷たい露が宿る頃。
この時季は、空気が澄みわたり、秋晴れの日が続き、清々しく澄んだ夜空が望める季節となります。
この節気の七十二候は
10月 8日あたりから10月12日 初候
四十九候 「鴻雁来る」(こうがん きたる)
秋の長雨が終わり、ぼちぼちと晩秋の始まりになります。
この頃は穀物の収穫も盛んな時期で、農家では繁忙を極めます。新米が店頭に並びますね…。
この頃は穀物の収穫も盛んな時期で、農家では繁忙を極めます。新米が店頭に並びますね…。
また、露が冷たい空気と接して、初冬の霜に変わる直前は、紅葉が濃くなり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代される時季になります。
この初候は 4月10日あたりの二十四節気「清明」・次候 「鴻雁かえる」(こうがん かえる)と対の候となり、夏冬の渡り鳥が入れ替わります。
晩秋の寒空を飛んでいる雁を見ていて、ちょっとセンチメンタルな寂しい気持ちになるのは、私だけでしょうか。
10月13日あたりから10月17日 次候
五十候 「菊花開く」(きくのはなひらく)
秋も深まり、その季節の花が咲いてきます。私はこの前後の頃に、いい香りを放つ金木犀が好きですが。「菊の花」はもちろん秋の代表格です。
菊の花は、葬送の花墓前に捧げる花というイメージが強くありませんか。実はこれは西洋の習慣が入ってきたためらしいのです。西洋では、元々、菊は墓前に捧げる花のようです。この影響から、病気の見舞いに菊の花を贈ることは、タブーになったと聞いたことがあります。
元々、桜が日本の春を代表する花であれば、菊は日本の秋を象徴する花で、葬送の花ではなかったのです。
『万葉集』には、菊は詠まれていないそうですよ。古来から、菊が葬送の花なら、防人の歌などで詠まれていたと思われるからです。
その後、中世になり、鎌倉時代の後鳥羽上皇は、たいへん菊の花を好まれたとか。
そこから、ご自身の印として菊の図柄を愛用され、それがやがて、天皇家の家紋「菊紋」となったそうです。
ただ、江戸時代には、天皇家の「菊紋」は自由に使えるようになり、一般庶民に愛され、店舗の商標や、和菓子の図案やさまざまの紋様などに取り入れられたようです。
というわけで、私の好きな奈良県にある「菊屋」さんの商標は「菊紋」ですし、菊の花をかだちどった最中が今も愛されるところとなっているわけですね…と食べる話になると、尽きない!!!(笑)
10月18日あたりから10月22日 末候
五十一候 「蟋蟀戸にあり」(きりぎりす とにあり)
日も短くなったこの季節、秋の虫たちが一斉に大合唱を始め、夕暮れ時になると、草むらのあちこちから聞こえてきます。秋を惜しみ、霜が降りる次の節気あたりまでの命を燃やさんとばかりに。
そう、この頃からぼちぼち冬の様子がうかがえるようになります。
最近、まとめて七十二候を書いてしまうのも、私の仕事がどんどん繁忙期に入ってきたもので、手抜きをしております。ご注文の決定が遅くなっていること、でも新たにカレンダーの興味を持ってくださるエンドユーザーさまなど、様々な動きがあり、実はこの季節、嫌いではありません。
今しばらく、この季節労働者にお付き合いください。
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